◆仮釈放の条件 出口の裁判官


地方更生保護委員会 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/地方更生保護委員会
地方更生保護委員会(ちほうこうせいほごいいんかい)
法務省設置法第15条を設置根拠とする、法務省の地方支分部局である。
刑法28条及び第30条にいう「行政官庁」である(更生保護法第16条)。
各管区(ブロック)ごと、北海道(札幌)、東北(仙台)、関東(さいたま)、中部(名古屋)、近畿(大阪)、中国(広島)、四国(高松)、九州(福岡)の8か所にそれぞれ置かれている(括弧内は所在地)。
名称は「北海道地方更生保護委員会」のように管区の地名を冠する。
また、那覇に九州地方更生保護委員会那覇分室が置かれている。

各委員会は委員長を含む3人以上14人以下(地方により異なる)の委員と、事務局から構成される。更生保護法の規定により決定をもってなすべき処分を行う場合は、それら委員の全員が合議するのではなく、地方裁判所の公判における裁判官の例と同様に全委員のうちから3人の委員が合議体を構成し、その合議体の議決により権限を行う。
地方更生保護委員会はそれらの処分についての最終行政庁ではなく、その決定した処分に不服がある者は、法務省の審議会等の一つである中央更生保護審査会(地方更生保護委員会の事実上の上級行政庁)に審査請求をすることができる。

各委員会の事務局には、保護観察官が置かれている。

刑事施設からの仮釈放の許可、仮釈放の取消、不定期刑の終了、少年院からの仮退院の許可に関する事務を所掌している。
そのほか、保護観察所の事務の監督についての事務も所掌している。
また、地方更生保護委員会事務局の保護観察官は、仮釈放や仮退院の準備調査などに従事している。

◆仮釈放の条件 出口の裁判官
https://youtu.be/h0PYdjp08Ic
番組内容
地方更生保護委員の岬真斗香(伊藤蘭)が、殺人の罪で1年半前から服役中の受刑者・船川哲矢(平岡拓真)の仮釈放の審査をすることに。
本人や刑務官、関係者への調査で釈放は妥当と判断され、哲矢は保護観察下に置かれる。
哲矢は更生を誓い、亡き父の知人で友禅作家の稲葉賢作(名高達男)の工房で真面目に働き始めたが、一週間後、行方不明に…。
そして1年半前の事件被害者の妻・初瀬佳代子(大島蓉子)が遺体で見つかる。

出演者
 岬真斗香…伊藤蘭
 小原秀樹…佐野史郎
 大場晴恵…伊藤かずえ
 穂積恭介…小木茂光
 稲葉賢作…名高達男
 守口吟平…川野太郎
 船川哲矢…平岡拓真
 船川美帆…北香那
 船川勇太…新井康弘
 松本満佐雄…竜雷太
原作脚本
【原作】姉小路祐セカンド・ジャッジ」(光文社文庫刊)
【脚本】土屋保文、蛭田直美
監督・演出
【監督】金佑彦
 
金沢城 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/金沢城
金沢城(かなざわじょう)
石川県金沢市丸の内にあった日本の城である。
江戸時代には加賀藩主前田氏の居城だった。
城址は国の史跡に指定されている。

金沢平野のほぼ中央を流れる犀川浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である(かつて「尾山」と呼ばれたのもこの地形に因む)。
櫓や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠(なまこ)壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴である。

この地は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう、または御山御坊)」であった。
寺とはいうものの大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもあった。
織田信長一揆を攻め落とし、跡地に金沢城を築いて佐久間盛政を置いた。
後に盛政が賤ヶ岳の戦い羽柴秀吉により討たれ、秀吉は金沢城前田利家に与えた。
利家は文禄元年(1592年)から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張、5重の天守や櫓を建て並べた。
兼六園は、加賀藩五代藩主前田綱紀金沢城に付属してつくらせた大名庭園である。
 
◆長町武家屋敷通り |石川の観光スポットを探す
https://www.hot-ishikawa.jp/spot/5962
「長町武家屋敷通り 」の情報は「ほっと石川旅ねっと」で。
香林坊から歩いてすぐ、繁華街の近くとは思えないほど静かな長町界隈。
加賀藩士・中級武士たちの屋敷跡が残り、黄土色の土塀、
石畳の小路などが当時の面影をしのばせます。
今も市民生活が営まれ、周辺には九谷焼のお店や飲食店も並びます。
長町武家屋敷跡は、昔ながらの街並みの中に現代の生活が自然に溶け込み、
独特の風情が漂う魅力的なエリアです。
雪から土塀を守る「こも掛け」は雪吊りとともに金沢の冬の風物詩となっています。

◆「再犯者率、過去最高」のカラクリ 犯罪白書でミスリード報道相次ぐ
楊井人文  | 日本報道検証機構代表・弁護士
2016/11/15(火)
https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20161115-00064334/
朝日新聞は11月11日、デジタル版で「刑法犯の検挙人数、戦後最少を更新 再犯率は過去最高」と見出しをつけ、法務省が発表した今年度の犯罪白書について報じた。
しかし、見出しの「再犯率」は「再犯者率」の誤り。再犯者率とは、刑法犯で検挙された者のうち再犯者が占める割合を意味し、前歴のある者のうち再び犯罪を行った者の割合(再犯率)とは全く異なる。
実際は、検挙された初犯者が再犯者を上回るペースで減少しているため、検挙された再犯者の実数は減っているが、「再犯者率」が上昇しているにすぎない。(追記あり)

NHKニュース2016年11月11日放送
朝日新聞だけでなく、読売新聞やNHKニュースも、検挙された再犯者が減少していることに触れずに「再犯者率」あるいは「再犯者の割合」が過去最高になったと報じていた。
法務省が11日発表した犯罪白書(来月刊行予定)によると、昨年一年間刑法犯で検挙された初犯者は12万4411人(前年比マイナス6.3%)で、再犯者は11万4944人(同マイナス2.9%)。
全検挙者のうち再犯者数が占める割合(再犯者率)は48%だった。
初犯者は過去最高だった2004年の25万0030人と比べると半分以下に減少。
再犯者も2006年の14万9164人をピークに年々減少している。

犯罪認知件数も、戦後最多の285万4061件を記録した2002年以来、13年連続で減少し、昨年は戦後最少の109万8969件だった。
検挙率(一年間の検挙人員をその年の犯罪認知件数で割った数値)は、ここ10年ほど3割前後で推移している。
 
◆犯罪統計における「再犯」 - 犯罪白書
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/63/nfm/n63_2_5_1_1_4.html
平成28年版 犯罪白書 第5編/第1章/第1節/コラム

コラム 犯罪統計における「再犯」とは?
再犯率再犯者率の違い-
再犯は,一般に,一度罪を犯した者が再び罪を犯すことをいうが,犯罪統計においては,再犯に関連する指標が,その目的に応じて異なる意味・内容で用いられている。
ここでは,誤解を招きやすい「再犯率」と「再犯者率」の違いについて説明した上で,「再犯率」の意味を正確に理解する上で重要なポイントについても考えてみたい。

まず,「再犯率」は,犯罪により検挙等された者が,その後の一定期間内に再び犯罪を行うことがどの程度あるのかを見る指標である。
これに対し,「再犯者率」は,検挙等された者の中に,過去にも検挙等された者がどの程度いるのかを見る指標である。
再犯率」が,いわば将来に向かってのものであるのに対し,「再犯者率」は,過去に遡るものであると考えると分かりやすい。

次に,「再犯率」の意味を正確に理解するのに重要なポイントについて考えてみる。
再犯率に関する調査では,調査の目的に応じて,
<1>「何をもって(刑事手続のどの段階で)再犯とみなすのか」,
<2>「どのような集団を対象に調べるのか」,
<3>「いつからいつまでの期間を調べるのか」
といった観点の違いがあるため,同じ「再犯率」という言葉が用いられていても,その意味するところや数値は異なってくる。

<1>の再犯の定義については,例えば,出所後に新たに犯した罪により,再び検挙されること,再び有罪判決を受けること,再び刑事施設に収容されることなどがあり,どれを基準とするかにより「再犯率」の意味は異なってくるし,数値も変わってくる。
また,罪名を問わず,再び罪を犯せば再犯とみなすのか,同一又は同種の罪名の繰り返しに限定するのかによっても,「再犯率」の数値は変わってくる。

<2>の調査対象とする集団については,例えば,窃盗によって初めて検挙された者のみを対象とした場合と,窃盗によって2回以上受刑し,刑事施設を出所した者のみを対象とした場合とでは,調査対象の犯罪性向の強さが異なることから,「再犯率」も異なると予想される。
そのため,「再犯率」という言葉を用いる場合には,どのような集団を対象にした数値であるのかを明らかにする必要がある。

<3>の追跡期間については,期間をどれだけ長く設けるかによって「再犯率」の数値が増減する。
また,罪名によって再犯までの期間には長短があることが指摘されているところ,罪名ごとに,出所後のどの時期に再犯が集中しているのかを詳細に検討することは,再犯防止に向けた対策を考える上でも有用である。

いずれにせよ,現実には,刑事手続の各段階で収集されるデータには制約があるため,入手することができた各種資料の範囲内において再犯状況を探るほかない。
犯罪白書では「再犯率」の一つの指標として「2年以内再入率」や「5年以内再入率」を用いており(詳細は本章第3節参照),これらは,ある年の刑事施設出所者のうち,出所後の一定期間内に,新たな罪を犯して刑事施設に再入所した者がどの程度いるかを把握するものである。

再犯率」や「再犯者率」は,どちらも再犯の実態を把握する上で重要な概念であるものの,その意味するところは異なり,その数値を読み解く上では正確な理解が求められる。
このように,再犯に関連する指標を用いる際には,その定義や計算方法について的確に把握しておくことが欠かせない。

法務省:福井保護観察所のホームページ
http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo_k_fukui_fukui.html
業務概要
 福井保護観察所福井市に置かれ,
福井県(福井地方裁判所管内)を管轄して,
次のような業務に当たっています。
(1) 保護観察
〇保護観察の目的・種類
 保護観察は,犯罪をした人又は非行のある少年が,実社会の中でその健全な一員として更生するように,国の責任において指導監督及び補導援護を行うもので,保護観察処分少年,少年院仮退院者,仮釈放者,保護観察付執行猶予者及び婦人補導院仮退院者の計5種の人がその対象となります。
http://www.moj.go.jp/content/000067972.jpg

(2) 生活環境の調整
(3) 更生緊急保護
(4) 恩赦の上申
(5) 犯罪予防活動
(6) 医療観察

福井保護観察所福井県内の保護司416人,
更生保護女性会員2,085人,
BBS会員51人及び協力雇用主約85社並びに更生保護施設「福井福田会」
と共に更生保護の諸活動を展開しています
(数値は,平成26年4月1日現在)。
次も参考にしてください。
 ・更生保護を支える人々
 ・更生保護ネットワーク(別ウインドウで開きます。)
 ※上記リンク先ウェブサイトは更生保護法人日本更生保護協会が運営しています。
ウェブサイトのアドレスについては,平成23年2月時点のものです。
ウェブサイトのアドレスについては, ...
 
保護観察所 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/保護観察所
保護観察所(ほごかんさつしょ)
法務省設置法及び更生保護法に基づいて設置される法務省の地方支分部局で、
犯罪や非行を犯し家庭裁判所の決定により保護観察になった少年、
刑務所や少年院から仮釈放になった者、
保護観察付の刑執行猶予となった者に対して保護観察を行う機関である。
さらに、
心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(医療観察法)に基づき、
心神喪失等の状態で重大な他害行為を行い、
不起訴や無罪になった者に対する精神保健観察も行う。

◆仮釈放 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/仮釈放
仮釈放(かりしゃくほう)とは、収容期間満了前において仮に釈放されること。
広義の仮釈放:
広義の仮釈放とは、矯正施設に収容されている者が、収容期間が満了する前に、仮に釈放されて、残りの期間を矯正施設の外で、社会生活を営むことを許可されるという、刑事政策上の制度である。
少年院からの仮退院、婦人補導院からの仮退院、労役場留置からの仮出場などのほか、刑事施設からの仮釈放がある。この刑事施設からの仮釈放を、狭義の仮釈放(かつては「仮出獄」・かりしゅつごく)と呼ぶ。
狭義の仮釈放
狭義の仮釈放とは、懲役または禁錮といった刑罰の確定裁判を受け、その刑罰が執行され、刑事施設に収容された受刑者が、当該自由刑の期間満了前に、刑事施設から一定の条件の下に釈放され、社会生活を営みながら残りの刑期を過ごすことが許されるという、刑事政策上の制度である。
かつては「仮出獄」と呼ばれたが、刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律施行後は、各法令の用語も「仮出獄」から「仮釈放」に改められた。
なお、当時より、少年院からの「仮退院」と「仮出獄」とを併せて、広義の「仮釈放」と呼び習わされることもあったが、少年院送致は刑罰ではなく保護処分であることから、「仮退院」のことを「仮出獄」と呼ぶことは無かった。
また、これらを併せて「仮出所」と呼ぶ場合もある。
 
◆保護観察 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/保護観察
保護観察(ほごかんさつ)とは刑事政策における一施策である。
犯罪者を処遇するにあたり、刑務所などの刑事施設や少年院で処遇を行う「施設内処遇」に対比して、「社会内処遇」と呼ばれる。

日本においては、保護観察は、対象者の居住地を管轄する保護観察所がつかさどる(更生保護法60条)。
保護観察中に守らなければならないと定められた事柄(遵守事項)を遵守するよう対象者を(主に面接によって)指導・監督し、あるいは、本来対象者自身が自ら更生のために努力しなければならない、という自助の責任を認めて補導・援護を行うことで、対象者の改善・更生を図るというものである。
保護観察は、少年に対するものはもちろん、成人に課せられるものも、それ自体は刑罰ではない。

常勤の国家公務員である保護観察官と実質的にボランティアである保護司が協働してその任に当たる(同法39条1項)。

保護観察官は、医学、心理学、教育学、社会学などの専門的知識に基づき、保護観察の事務にあたるとされている。


 
◆保護司 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E5%8F%B8
保護司(ほごし)は、保護司法(1~5条、7~9条、11~18条)・更生保護法(32条、61条、64条)に基づき、法務大臣から委嘱を受けた非常勤の一般職国家公務員(人事院指令14-3で指定された非常勤国家公務員、無給)で、犯罪や非行に陥った人の更生を任務とする。
 
法務省所管の地方支分部局であり、各都道府県庁所在地(北海道にあっては、札幌のほか、函館、旭川、釧路)におかれた保護観察所の長の指揮下に職務を行う。

身分は国家公務員であるが俸給は支払われず、無給なので実質的にはボランティアである。

更生保護法では「保護観察官で十分でないところを補う」とされているが、保護観察官の人数が絶対的に不足していることから、更生を支援する活動の担い手は、保護観察官より保護司が主となっている、との指摘も一部にある[1]。

こうした更生を手助けする公的なボランティア制度は、日本発祥の制度であり、フィリピンなどにも制度が輸出されている。

構成
保護司の任期は2年で、全国に約48,000人いる(保護司法規定の上限は52,500人)。保護司は各保護区(政令で定められた区域)ごとに定員がある。

加賀友禅 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3%80%E5%8F%8B%E7%A6%85
加賀友禅(かがゆうぜん)
国指定伝統的工芸品で、江戸時代中期に加賀藩にて栄えた加賀御国染を基に京友禅創始者といわれる絵師宮崎友禅斎が、晩年金沢の加賀藩御用紺屋棟取であった太郎田屋に身を寄せ、加賀御国染に大胆な意匠を持ち込み、確立した染色技法と、その作品をいう。
加賀五彩(藍、臙脂、草、黄土、古代紫)と呼ばれる艶麗な色彩で知られ、特に紅色、紫、緑系統の色を多用する。

柄は、図案調の京友禅に対して草、花、鳥等の絵画調の物が多く、自然描写を重んじる中から「虫喰い」等独自の装飾が生まれた。
「ぼかし」も京友禅以上に多用される傾向にある。
金沢市内を流れる浅野川では、工程の最後の方に、余分な糊や染料を洗い流す友禅流しが見られることがある。
 
◆やざらし
鹿児島弁辞典「け」 - おんじょどいの小屋
http://onjyodoi.sakura.ne.jp/jiten/09ke.html
ざらし:下品である 
「げざらしか 野次を飛(と)ばすい 金バッジ [米元年輪]」「げざらしか 家(え)じゃち思(お)もたや 成(な)い上(や)がい [塚田黒柱]」

ことば


◆脇息 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/脇息
脇息(きょうそく)
日本で近世まで使われた、
脇に置いてもたれかかるための安楽用具。記紀では几(おしまずき)、
奈良時代には挟軾(きょうしょく)と呼ばれた。
正倉院に「紫檀木画挟軾」として伝わっているものが古形であり、
使用法も身体の前面に置いてもたれかかるものだったが、
平安時代以降は脇に置いて片肘をつくための天板光月型、
上部に綿を敷き布を張ったものも生まれた。
材質には木製の他、紫檀や竹製が使われた。
また平板には長方形のものの他、湾曲した形もあった。
女性用として引き出しが付いた箱形の「寄懸(よりかかり)」もあった。

平板に四本脚を付けたものが典型的な形で、
平板に綿を詰めビロードなどを張ったものがある。
主に明治時代まで和室において使用された。
時代劇などでは主に貴人(将軍、大名、貴族など)が
上座にて使用する光景が見られるが、実際には私室で用いられ、
公式の場に置かれることはなかった。
現代では料亭や高級旅館などで客用に置かれたり、
囲碁・将棋の対局の場でかろうじて、その名残を見ることができる。

御伽草子に収録されている天稚彦草子では、
人間の娘が姿を変えられて脇息になる場面がある。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/83/Kyosoku.png
 
◆しゃもじ(杓文字) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/しゃもじ
しゃもじ(杓文字)は、飯をすくったり混ぜたりするのに使用する杓子。
前者の用途としては飯を炊飯器・おひつなどから食器に取り分けるために用いる。
また、後者の用途としては寿司飯を作る際に酢と飯を切り混ぜたり、
混ぜご飯にかやくを混ぜ込む時などに用いる。
飯杓子ともいう。
形状
先端が楕円形に広がったへら状になった薄板で、材質は伝統的に木や竹であったが、
現在では合成樹脂などといった硬いがやや柔軟性のある素材でも作られる。
 日本の米(ジャポニカ米)の性質上、炊いた米(飯)は粘着性を持つためにしゃもじには米粒がくっつきやすく、寿司飯を作る場合等に作業の妨げになる。
これがくっつかないようにするためにはあらかじめ木製のしゃもじを水につけておくなどの工夫がされる。

合成樹脂製のものでは、米粒がくっつきにくいしゃもじが発売されているが、これはへら部の表面に小さな突起を多数つけるという加工(エンボス加工)をすることにより、米粒との接触面積をできるだけ少なくし、粘着しづらくするという工夫がされたものである。

語源
語源は、柄の先に皿形の部分が付いた道具の「杓子」(しゃくし)の頭字「しゃ」に接尾語「もじ(文字)」が付いた女房言葉(にょうぼうことば)である。
本来は汁をよそう杓子も含めた言葉であり、米飯をよそうものを特に飯杓子(めしじゃくし)と言ったが、時代が経るにつれ、汁用のものをおたま(お玉杓子)、米飯用のものをしゃもじというようになった。
杓子のなかでも、滋賀県多賀大社がお守りとして出している杓子が、杓子を代表するもので「御多賀杓子」とよばれる。
これが転じて「おたまじゃくし」・「おたま」になったとする説もある。
ちなみに、カエルの子のオタマジャクシの語源もここに由来する。

歴史
稲作の伝来と共に伝わったとみられ、弥生時代の遺跡からもしゃもじが出土している。

神道と杓文字
安芸の宮島厳島広島県)の名産品でもある(そのため「しゃもじ」そのものを「宮島」と呼ぶこともある)。
「必勝」「商売繁盛」などの文字が染め抜かれた飾りしゃもじも工芸品として製作されている。
寛政の頃、宮島の光明院の修行僧、誓真が、当時主たる産業がなかった宮島のために、弁天のもつ琵琶と形が似たしゃもじを宮島参拝のみやげとして売り出すことを島民にすすめたことを起こりとする。

百日咳に御利益があるとされる神社には、完治した後にお礼として「しゃもじ」を納める習慣がある場合がある。

また、広島県を本拠地とするスポーツチーム(広島東洋カープサンフレッチェ広島、その他アマチュアスポーツにおける全国大会での広島県代表チーム)、広島県内での国際規模のスポーツ大会での日本代表(2011年ワールドカップバレーボール他)の応援にしゃもじを楽器代わりに使う事例も多数ある。

◆スプーン - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/スプーン
スプーンとは、食品や薬品をすくい取ったり、混ぜたり、量ったり、潰したりする道具のこと。
主に、料理を食べるときの食器として使われる。
匙(さじ)ともいう。
素材は、ステンレス・金・銀、真鍮やニッケルなどをめっきしたものなど金属製のものが多いが、木製や陶器製のもの、角や骨を材料に使う地域もある。
また、弁当にはしばしばプラスチック製のものが添えられる。このほか可食性素材のスプーンもある。
形状はものを乗せる皿状の部分と手で持つための柄で構成される。
柄の部分を別部材で構成した別柄型のものと全体を一体成型にしたものがある
 
◆さじ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/さじ
さじ、サジ
・漢字
 ・匙
 ・匕(部首) - 匕部。
匕部(ひぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。
康熙字典214部首では21番目に置かれる(2画の15番目)。


・実在の名称
 ・サジ - グミ科の植物。サジーともいう。
 ・左慈 - 中国の後漢末期、廬江の人で方士。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E6%85%88

◆しゃもじの由来
http://www.geocities.jp/miyajima_shamoji/yurai/
◯杓子(しゃくし)と杓文字(しゃもじ)の違いは?
 広辞苑には次のように書かれています。
杓子・・・・・飯または汁などの食物をすくいとる道具。頭は小皿のようでこれに柄をつけたもの。
杓文字・・・飯や汁などをすくう道具。特に、飯をよそう道具。
つまり、飯をよそうものが杓文字で、飯をよそうだけでなく汁などをすくうのが杓子です。
宮島では、飯をよそう杓文字を杓子と呼んでいます。

◯宮島杓子の由来
 寛政の頃(1800年頃)、神泉寺の僧・誓真という人が、ある夜、弁財天の夢を見てその琵琶の形の美しい線から杓子を考察し、御山の神木を使って作ることを島の人々に教えました。
この神木の杓子で御飯をいただけば、ご神徳を蒙り福運をまねくという誓真上人の高徳とともに、宮島杓子の名声は世に広く宣伝されています。
なお現在では、その伝統を生かして、各種の調理杓子・お玉杓子などが考察されています。

◯世界一大きい宮島の大杓子
 お土産屋が並ぶ表参道商店街の途中に、大杓子が展示されています(下の写真)。
長さが7.7メートル、最大幅が2.7メートル、重さが2.5トンあり、世界一大きい杓子です。
この大杓子は、宮島町が伝統工芸である宮島細工を後生に残すとともに、杓子発祥の地である宮島のシンボルとして製作し、厳島神社世界遺産登録を機に展示を始めたそうです。
 
◆おひつ
飯櫃(いいびつ)のこと。
炊き上げた粥(かゆ)や飯を入れるための円形または楕円(だえん)形の食器で、飯次(めしつぎ)、飯鉢(めしばち)ともいう。
『伊呂波(いろは)字類抄』にすでに飯櫃の名がみえており、古代より椀(わん)によそう前の容器として使用されていた。
その多くは、木製、金属製で漆が塗られており、中世以降には白木の桶(おけ)風のものも出現した。
近世になると、地方によりさまざまな名称でよばれるようになった。
関西では一般におひつと称するが、そのなかでも白木製の桶をおひつ、めしびつ、塗り物は「おはち」といって区別している。
しかし関東ではこの区別がなく、すべておはちといっている。
農村では飯詰(めしづめ)と称している所もあるが、これもおひつである。[森谷尅久]
 現在はプラスチック製のものや保温ジャーといったものも使われているが、これらは吸水性が悪いため、飯がべたつく欠点がある。これに対し従来の木製のものは、使い込むほど吸水性がよくなり、温かい飯を入れたときに余分な水蒸気を吸い取るので、飯がぱらりとしておいしくなる。
また、断熱性があるため保温の役目もする。したがって樹脂の少ない、吸水性に優れた杉などが用いられる。
なお、白木製のおひつは乾燥しすぎるとばらばらになることがあるので、扱いには注意が必要である。[河野友美]

◆飯櫃(めしびつ)/お櫃(おひつ)/お鉢(おはち)
出典:類語例解辞典(小学館

[共通する意味]
★御飯を入れる木製の容器。
[国語辞書で詳しい意味を調べる]
飯櫃お櫃お鉢
[使い方]
〔飯櫃〕
▽飯櫃から飯をよそう
〔お櫃〕
▽お櫃を抱え込んで食べる
〔お鉢〕
▽お鉢を一人で空にする
[使い分け]
【1】日常の話し言葉では、「お櫃」「お鉢」がよく使われる。
【2】「お鉢がまわる」は、順番が回ってくる意。飯びつが回され、飯を盛る順番がくるところからいう。
 
◆飯櫃(めしびつ) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/飯櫃
飯櫃(めしびつ)は、炊き上がった飯を釜から移し入れて置く為の櫃である。
お櫃(おひつ)、お鉢(おはち)などともいう。
多くは木製で、白木(サワラ材)や漆器のものがある。
蓋の形状によって、「つめびつ」「のせびつ(関西櫃、地櫃)」「かぶせびつ(江戸櫃)」がある。
新しいものは、木肌が慣れない為、木の香が飯に移ることがある。
木の香を抜くには、熱湯を満たしてその中に少量の酢を加えるということを数回繰り返せばよい。
現今では保温機能などに特化したジャーに取って代わられつつある。
藁でできた、おひつ入れという物もある。保温性と通気性に優れる。

◆米櫃(こめびつ) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E6%AB%83
米櫃(こめびつ)とは、御飯を炊くための米を入れる容器(櫃)。

現代日本では主食である米を米櫃に予め保管しておくことが広く行われているが、時代や地域によって容器が甕や樽、桶であったり、中身が米以外の雑穀であった場合もあった。

そのため、必ずしも「こめびつ」という名称だけが用いられている訳ではなく、糧(りょう、=食糧)に由来する「りょうびつ」「りょうまいびつ」、雑穀を含めた自家用穀物を意味する褻稲(けしね)に由来する「げびつ」「けしねびつ」、唐櫃(からびつ/からと)に由来する「からと」「こめがらと」など、様々な名称が付けられていた。

また、主食を保管した米櫃を管理するのは主婦権の象徴であり、炊事を嫁に任せても米櫃から米を取り出す作業は必ず姑が行うという風景が戦後になっても見られた。

米を定量計測して供給する機能が付いているものを計量米びつという[1]。また、精米機付の製品もある。
 
◆おにぎり - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%AB%E3%81%8E%E3%82%8A
おにぎり(御握り)は炊いた米、すなわちご飯に味を付けたり具を入れたりして、三角形・俵形・球状などに加圧成型した食べ物である。
通常は手のひらに載る程度の大きさに作る。
作り置きが可能である。さらに保存性・携行性に優れており、手づかみで食べられることから日本で古くから今日に至るまで携行食や弁当として重宝されている。
もともとは残り飯の保存や携行食として発達したが、その後は常食としてのおにぎりが主流となってコンビニエンスストアやスーパーマーケットでも販売されている。
日本のコンビニエンスストアの世界進出とともに世界各国でおにぎりが販売されているほか、居酒屋や日本料理店の世界進出に伴って一部の国でも食べることが可能となってきた。

て提供される場合も多い。

呼称
日本国内でも、地方あるいは家庭によっては「おむすび」(御結び)や「握り飯」などと呼ばれる。単に「むすび」や「握り」などと呼ぶ場合もある。

地域的には西日本は「おにぎり」、東日本は「おむすび」である。東京でも古くは「おむすび」であったが、上方から新しく言葉が広まった。

「握りまま」(青森県)、「おにんこ」(栃木県)、「にんにこ」(和歌山県)といった方言もある。

おむすびというのは元は御所の女房言葉であった。おむすびと言えば三角に握ったものというイメージが強い。「おむすび型」というように三角形をした物のことを指す代名詞として使われる場合がある。

おにぎりやおむすびの語源、両者の違いについては種々の説がある。

・おにぎりは形を問わないが、おむすびは三角形という説。
・おにぎりが三角型で、おむすびは俵型という説。
・米を握り固めた状態がおにぎりで、おにぎりをわらで巻いて運搬しやすくした状態がおむすび説。
・丸形で海苔(しめった海苔)が全面を覆うのがおにぎり、三角で乾いたパリパリの海苔が一部を取り巻くのがおむすびという説。
・三角の握り飯を「おむすび」というのは造化の三神に由来するとの説。
・おにぎりの呼び名は江戸時代からの呼び方でおむすびの呼び名はそれ以前からの古くからの呼び名。
・東日本でおにぎり、西日本でおむすびと別名でよんでいたのが混交したという説
・握り飯またはおにぎりの方が歴史が古く、その女房言葉もしくは丁寧語としておむすびといったという説
・昔の日本人は山を神格化し、その神の力を授かるために米を山型(神の形)をかたどったのが握り飯を三角形に作った由来との説もある。
・おにぎりは「鬼を切る」という言葉に似ているため、魔よけの効果があるとの説もあり、鬼退治に白飯の握り飯を投げつけたなどの民話もある。
・ハワイなど明治期に多くの移民が移り住んだ諸外国ではおにぎりではなく「MUSUBI」という呼称が一般的となっている。
 
◆米 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3
米(こめ、英: rice)は、稲の果実である籾から外皮を取り去った粒状の穀物である。穀物の一種として米穀(べいこく)とも呼ぶ。
東アジア・東南アジア・南アジア以外では一般的に主食として特別視することが希薄であり、日本語でいう「米」「稲」「飯」といった、収穫前・収穫後・調理前・調理後などによる区別がない言語が多数ある。
例えば英語圏ではすべてriceという同一の単語で扱われる。

◆イネ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8D
イネ(稲、稻、禾)は、イネ科イネ属の植物。
属名Oryza は古代ギリシア語由来のラテン語で「米」または「イネ」を意味する。
種小名 sativa は「栽培されている」といった意味である。収穫物は米と呼ばれ、トウモロコシやコムギとともに世界三大穀物の1つとなっている。
稲禾(とうか)、禾稲(かとう)などとも呼ばれる。